人間は地球の敵なのか?
子供の時は自分の見えている周りだけが世界の全てだった。
甘いお菓子や自分だけのおもちゃ。
子供特有の偏食。
小さい時は隣町に自力で行くこともなかった。
また、行く必要もなかった。
自分の家や家の前の道路や川。
小さい公園や誰もいない神社。
家族や近所の遊び友達。
これが全てだった。
それが学校へ行き大勢が集まる催しがあって、卒業したら仕事でさまざまな人と出会う。
隣町→隣県…そして、外国へ。
街から山に海に出かけて遊ぶ。
トレーニングや観光で遊びに行く事があっても、大自然の世界へ勉強しに行くことはほぼない。
それ故に子供の頃から大人…年老いても過ちを犯す。
自然を傷つけてしまっていることになかなか気づかないのだ。
この大自然に対する勉強は図書館の本に載っていることでは対応しきれない。
山の高さ、海の水の冷たさ、風の強さ、異なる土地の日差しの違い。
文章でいくら書かれていても実感しなくては本物はわからない…
昨日と今日違うのが自然の世界。
そして、自然界には掟がある。
これを知っている人間はどれぼどいるのだろう…
野生動物はみな知っている。
多くの人間は知らない。
そして、人間に飼い慣らされた野生がなくなった動物もまた忘れてしまっているのも事実。
自然の掟とは?
それは教えられない。
いや、教えようがない。
自分で体得するしかないのだ。
大自然への畏怖と敬意を持たねば真理に決してかすりもしない。
いつから人間は自然と共存しなくなったのか。
日本人では平安時代頃までか…
なぜその時代か?根拠や理由など…話すことではない。
歴史を紐解いていけば気づける人はいると思う。
科学や数学で何がわかるというのか。
人の感情でさえも数値化しきれない。
できるのはせいぜい大まかな推測が良いところだ。
「山をなめるな」「海で泳ぐのは怖い」
よくある、人の先入観。
自然は人に故意に何かを仕掛けてはこない。
流れの速い川で泳ぐとわかる。
自分に対する怒りでも怨念でもなく、自分の体がただ流されていく…無機質に…無表情の人間のような感じだろうか。
大自然は虫に近いかもしれない。
捕食者に捕まった虫は悲鳴もあげない。
捕まえた虫も歓喜のおたけびもない。
無論、彼ら虫にも感情のようなものがある…だから大自然=虫とは違う。
まあ、大自然の中に虫も人間もいるのは確か。
人が地球を傷つけるのもまた自然の営みかもしれない。
オーストラリアや日本が検疫厳しくしていても、その外国の物が人間によって持ち込まれてその土地の固有種が滅びてしまうのもまた自然なのだ。
自然は人間にとっては鏡だ。
山を切り開けば土砂崩れが起きやすくなる。
海で泳ぐからクラゲに刺される。
大都会の家にいればヒグマに出会うこともない。
動物にも人間にもナワバリがあり、その境界線は長い時間を経て移り変わっていく…その地の最強の物が主になる。
「者」ではなく「物」
これがすぐにわかれば大自然の掟にかなり近づける。
そして…
近年の世界中の災害。
やれ地球温暖化、それは嘘だなだと。
ただの偶然?
地震や火山噴火、そして疫病の前には必ず人間のしたことに原因がある。
人間同士のやり合いだと…古代スパルタは強国。厳しすぎる掟があり、奴隷制もあった。
仲間を信頼し、国の為に命をかけて戦った。
ところが、富が溢れていくと自己鍛錬を怠り堕落し、自分にも他人にも甘くなった。
現代に近くなった…スパルタの滅亡する前は…
アメリカのインディアンもそう。
入植者と戦い敗れたのはいい。
しかし、現代のインディアンの多くはアルコール漬けや美食の罠に嵌り、大自然の友ではなくなった。
素晴らしい文化があったのに…
いや、まだあるはずだ。
伝統を重んじ、継承する人がいることを信じたい。
人間同士でも因果応報があるのだから、相手が大自然なら避けようがない。
先に述べたように人間にとって自然は鏡のようなもの。
では自然にとって人間とは?
味方?仲間?
親兄弟?
個人によって違う?
その答えは1つではない。
ただ、人類という多くくりでは地球の害と思われても致し方ないことを多くの人間は自然に対して行ってきた。
このままでは人類は変わらない。
これからも大自然を傷つけ報いを受ける。
私は人間。
だけど、地球の守り手。
共存共栄が最善。
数少ない地球の守り手として告ぐ
人間は地球なくして生き残れない。
いつかは宇宙移住?
地球生まれ育ちの人間が?
何の為に?
地球あっての人間。
人間あっての地球を望むのは人間と人間に飼い慣らされた動物だけ。
人間の為に地球があるのではない。
地球があるから人間がいる。
大自然の友になると人間社会では生きづらい…
だが、自然に対し、畏怖と敬意、贖罪していく覚悟があるのなら、真に心豊かに生き、そして…安らかに最期を迎えられる。
どうか1人でも多くの人に伝わりますよう。
大自然の友たれ
毎日の糧に感謝を
↓