真実を求める者に捧ぐ

アイルトン・セナを倒すべくF1へ…セナが亡くなり…芸能界や中国留学…海外に会社設立、倒産…マラソンに本気で…現在は…山と海が近い地にて仕事をしながら、トレイルランやシュノーケリングをして遊んでいます(^^)

こんな時こそ宗教?ちょっと待ったぁ〜!

無宗教=無節操

 

すがれるものには何でもすがる。

 

 

神社のお守りと十字架のネックレス、手首に数珠で…なんて人いたりして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混乱の時代にこそ人は宗教に頼りたくなる。

 

お金も…今や使える場所すらも減っていき…肝心な時に本当に役立つのかわかりはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつてのフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルト

 

彼が宗教について述べた記述があったので記載していく。

 

なにか心に思うことができれば幸い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナポレオン宗教観

 

 

何故に宗教は互いに排他的であるのか?

何故にかくも多様の宗教が互いに品位を堕としあい、互いに絶滅しあうのか?

説教者達が相も変わらず、いつの時代にも何処ででも、欺瞞と虚偽とを流し込んだからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教を1人の長に管理させるのは良くない。

悪い司祭があまりにも多いからだ。

 

人間の社会としての結合を強化する為には宗教が必要である。

 

非常に良く統治された国家においては、1つの支配的な宗教がある方が良い。

しかし、その場合、聖職者は民衆に仕える存在でなければならない。

 

信仰は大きな真の幸福であるに違いないということはわかる。

 

宗教なくして、闇の中を不断に歩くことはできない。

 

国家にとって、確固とした永続性のある支えとなるのは宗教だけである。

宗教なき社会は羅針盤のない船のようなものである。

 

征服者は寛容であらねばならず、あらゆる宗教を保護しなければならない。

私がエジプトで成功したのも、イスラム教徒として振る舞ったからである。

 

 

ナポレオンは国として宗教は必要だと言い切った。

 

しかも、尊敬する母親は敬虔なクリスチャン。

だが、ナポレオン自身は無神論者?

 

エジプト遠征中はターバンを頭に巻いてイスラム教徒のように振る舞ったが…多くのモスクをカフェに変えてしまうなど、彼の宗教が統治する為の上辺だけのものだったのがわかる。

 

 

 

 

宗教に入信するのは救いを求める心がそうさせるのでしょうが…

 

悪しき心の持ち主はそこにつけこんでくる。

 

どうかお気をつけて

 

 


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