真実を求める者に捧ぐ

アイルトン・セナを倒すべくF1へ…セナが亡くなり…芸能界や中国留学…海外に会社設立、倒産…マラソンに本気で…現在は…山と海が近い地にて仕事をしながら、トレイルランやシュノーケリングをして遊んでいます(^^)

このお方こそ世界の指導者に相応しい…その名は…

ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカさん。

 

12年6月20日のリオ会議での演説。

 

これは常に心に留めておくべきことです。

 

環境や世界経済への警鐘ともいうべき有名な演説です。

 

 

 

この場に出席されている世界各国の代表の皆さん。ありがとうございます。

 

お招きいただいたブラジル国民、そして大統領閣下に感謝します。


これまでに発言された全ての方々が表明された誠意にも大いに感謝いたします。

 

いち国家指導者として貧しい人々のための取り決めづくりに仲間として共に参加することを表明いたします。

 

 

しかし、私たちにもいくつか声高らかに質問をすることをお許し願いたい。


今日の午後ずっと私たちは「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。

 

けれど、私たちの本音は何でしょう?


今の発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか?

 

 

質問させてください。

 

もし、ドイツ人がひと家族ごとに持っているほどの車を、インド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうのでしょう?

 

私たちが呼吸できる酸素は残されるのでしょうか?

 

 

もっとはっきり言いましょう。

 

例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで、70億、80億の人に消費と浪費が許されるとしたら、それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?

 

それは可能なのでしょうか?


それとも別の議論が必要ですか?

 

 

今のこの文明をつくったのは私たちです。


私たちは市場と競争社会から文明という落とし子を生み出し、物質面での驚異的な進歩をもたらしました。

 

そして、市場経済は市場社会をつくりだし、それを世界規模に拡大してしまいました。


いわゆるグローバリズムです。


そのグローバリズムを私たちはコントロールできていますか?


逆にコントロールされてはいないでしょうか?

 

 

こんな残酷な競争で成り立つ社会で「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が本当にできるのでしょうか?

 

私たちは本当に仲間なのですか?

 

 

私は今回の会議を否定するために言っているのではありません。


違います。

 

むしろ逆です。

 

我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。

 

人類は今消費社会をコントロールできていない。


逆に人類のほうがその強力な力に支配されているのです。

 

 

我々は発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。


幸せになるためにやってきたのです。

 

人生は短く、あっという間です。


しかし、その人生こそが何より価値あるものなのです。

 

余計なものを買うために、もっともっとと働いて人生をすり減らしているのは、消費が「社会のモーター」となっているからです。

 

なぜなら消費が止まれば経済がマヒしてしまい、経済がマヒすれば不況というお化けが我々の前に姿を現します。

 

しかし、今この行き過ぎた消費主義こそが地球を傷つけ、さらなる消費を促しています。

 

 

商品の寿命を縮め、できるだけ多く売ろうとする。

 

今の社会は1000時間保つような電球は作ってはいけないのです。


本当は10万時間、20万時間も保つ電球はあるのに、そんなものは作らない。

 

なぜなら我々は、もっと働き、もっと売るために、「使い捨て文明」を支える悪循環の中にいるからです。

 

 

これは政治問題です。

 

我々は今までと違う文化のために闘い始めなければならない。

 

石器時代に戻ろうとは言っていません。


このままずるずると消費主義に支配されるわけにはいかない。


私たちが消費主義をコントロールしなければならないと言っているのです。

 

ですから私はこれが政治問題だと言いました。


とても謙虚な思いからです。

 

かつての賢人たち。

 

エピクロスセネカ、そしてアイマラ人たちは次のように言っています。


「貧しい人とは少ししか物を持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」と。

 

 

大切なのは”考え方”です。


だからこそ、みなさんと共にこの会議に参加し、国家指導者として皆さんと共に努力したいのです。

 

私の発言は皆さんを怒らせるかもしれない。


しかし、気づかなくてはいけません。

 

“水問題”や”環境の危機”が事の本質ではないということです。

 

見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方です。

 

なぜそう思うのか?

 

私は環境に恵まれた小さな国の代表です。


人口は300万人ほど、いや、もうちょっと320万人ほどしかいません。

 

けれど、世界で最もおいしい牛が1300万頭、また素晴らしい羊が800万〜1000万頭。


食べ物、乳製品、そして肉の輸出国です。


国土の90%が有効に使えるほど豊かな国なのです。


だから、かつて私の仲間たちは8時間労働のために闘い、ついには6時間労働を勝ち取った人もいます。


しかし、そうなったら今度は仕事を2つ持つようになりました。

 

なぜか?

 

たくさんの支払いがあるからです。


バイクやマイカーのローンを次から次へと支払っているうちに、私のようなリウマチ持ちの老人になって人生が終わってしまう。

 

 

そして自分に問いかけるのです。これが私の一生だったのかと。

 

 

私が言っているのは基本的なことです。

 

発展は幸せの邪魔をしてはならない。


発展は

 

「人類の幸せ」

 

「愛」

 

「子育て」

 

「友達を持つこと」


そして「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきものなんです。

 

なぜなら、それらこそが一番大事な宝物なのだから。


環境のために闘うのなら一番大切なのは人類の幸せであることを忘れてはなりません。

 

 

ありがとう。

 

 

いかがでしたでしょうか?

 

私は………地球の守り手として誓います。

 

私は人間ですが、地球の味方です。

 

大自然豊かなこの惑星をこれ以上傷つけることは…

 

どうか1人でも多くの人が過ちに気づき行動できますように切に願う。

 

 

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